風がゴウゴウと桜池の周りの大木を揺らせます。西の山の向こうでは稲光がゆっくり明滅しています。雨はやや強くなりながら、頭や肩を叩きだしました。としゆきは胸の下の方落ち着かなくなる感じがしました。
「もう帰えらへんの」
チラリと振り返ったケンゴは唇を歪めて「怖いんか」と囁いた。その声は強い風にもかかわらず、としゆきにはっきりと聞こえました。
としゆきは言葉を詰まらせていましたが、「おまはんこそ、怖わないんか」と大声で言いました。
「…」
ケンゴが何かを言おうとした瞬間、南の山の向こう側に光りと轟音が同時に爆発しました。その光りと音にケンゴも小さく悲鳴を上げました。
「これはあかんは…もう帰らな」
としゆきは心の中でケンゴの様子を愉快に思っていましたが、すぐに二回目の落雷があると全部忘れて逃げ出したい気持ちだけになりました。
ケンゴは竿から糸を外すと、竿を堤の草の中に隠して糸はおかしの箱に巻き取ってズボンのポケットに入れました。そして素早く重そうなタマネギ袋を引き上げると、「入れるもんあるんか?」と尋ねました。
虫網以外に何も持っていないとしゆきは、とっさにみかん畑の横に放置されている肥料袋を思い出して、駆け戻って大きな濡れたビニール袋を持ってきました。
袋をあけるとまだ強く化学肥料の匂いが残っており、ケンゴは嫌な表情でとしゆきを見つめました。
「よく洗うから」としゆきは言い訳をするように、濡れた堤に伏せて腕を伸ばし、肥料袋に池の水をくんで何回もゆすぎました。
それでもまだ匂いは完全に取れていませんでしたが、ケンゴは大きな錦鯉をその中に入れました。水の重さと鯉の重さでとしゆきの手はちぎれそうでしたが、もっと重いたまねぎ袋を持ったケンゴの手前、一生懸命我慢しました。
「いけるんか?」
「いけるよぉ」
雨は益々強まり、首筋から背中へどんどん流れ落ちるほどでした。
「お前んち遠いやろ。うちへ来いよ。おとうちゃんに送ってもらうようにゆうたるからっ」
「ええよ、帰れるから」
暗くなりだした池の堤でケンゴの表情は帽子のつばで見えませんでしたが、懸命に家に来るように誘うケンゴのことがだんだん恐ろしく思えてくるのでした。
「うちはあの竹薮を抜けたらすぐやから」
ケンゴの指さす暗い竹薮の影を見たとき、としゆきの心に兄が言った尻子玉を抜く河童の話が甦ってきて、もう我慢できない気持ちになりました。
「ほな、帰るからっ」
としゆきはケンゴを振り切ると肥料袋とアミを抱えて堤を駆け降りました。
後方でケンゴがなにやら叫んでいましたが、振り返りもせずに雨に目を細めながら、自転車を置いてあるほうへ懸命に歩きました。
途中腕が痺れて何度もビニール袋を落としそうになりながら、その度雨音と雷鳴に驚いた鯉の水を蹴る音がして改めて袋の口を両手で握り直すのでした。