2008年6月9日月曜日

桜池の河童(2)


 その日は曇りながら明るい日でした。家の飼い猫がとしゆきを警戒しながらブロックで作られた池の竹の蓋の上であくびをしています。たまにこの子供は猫の水上訓練といって、幅1メートル、長さ2メートルの水槽にハチを投げ込むのでした。彼女は大変そういうことを嫌っていたが、子猫の自分を家につれてきた彼にはよくなついていました。この日、としゆきも何事かよからぬことを考えている表情でした。逃げようかと思いましたが、面倒なので動かずに人間の子供の様子を見守ることにしました。
 としゆきは家人に見つからないように虫取り網を持つと自転車にまたがり、そっとスタンドを上げて静かに足で自転車を進めました。チェーンのギアの音でさえ今の彼には大きすぎたのですが、慎重に道まで出て坂の下の倉庫に両親がいないことを確認すると、一気に下り坂を降りました。白いコンクリートの道を勢いよく駆け降り、自分ちの倉庫を曲がると、そこはもう彼の中では外界でした。

 下り坂が終わった三又路を右に折れ自転車はコンクリートの所々割れた道を南の方角に進んでいきました。きり山の東側の裾を縫うようにつづく農道に沿ってどんどん行き、水田の中にぽつんとある木々が茂った”もりさん”の横を過ぎ、道の下に倉庫がある畑に差しかかったところで、としゆきが恐れていたことが起こりました。
 「としゆきぃ、お前どこいくんや?」
 母親の従弟で大工の大吉でした。大吉は身長180センチ以上もある大男で、目がギョロッとした迫力のある顔をしています。子供のとしゆきには仮面ライダーの怪人の次に怖い大人でした。
 「これから向こうのみどっこ(溝っこ=小川)で魚掬うんや」
 虫取り網を振りながら、内心どぎまぎしながら言うと、大吉は少し険しい表情で、としゆきを睨みつけて唸るように言いました。
 「桜池には行ったらあかんど。分かったな?」 いかへん、と呟きながらくびを振るとしゆきに、追い打ちを駆けるように「嘘ついたらドリルで手に穴あけるど!!」と怒鳴ると、興味をなくしたように再び大吉は仕事に戻っていきました。としゆきは青ざめて自転車思いっきりこいでその場を離れました。大叔父の姿が見えなくなったところで、やっと自転車の速度を緩め、一息つきました。少し足がだるくなっていましたが、そのまま進みみかんの木と山の間に桜池の堤が見えるところ、道が西に向きを変えるところで自転車を道端のみかん畑に乗り捨てました。そこからは田んぼの畦を進むため、自転車では通れないのでした。
 誰も見ていないのに用水路を網でつつきながら、さも興味なさ気に穂の伸びた水田の畦道を辿っていきました。