(1)
そこは特に特筆すべきものの無い、平凡な地方都市のはずれの農村ででした。5軒に3軒は農業を生業としている集落に、7歳になる男の子が家族と一緒に暮らしていました。
男の子の家も両親は農家で、朝から晩まで忙しく働いており、歳の離れた兄にもあまりかまってもらえず、大抵一人か近所の子供らと昼間は遊んでいました。この子はもう小学校二年になっているのに、ほかの子と比べても魂が定まらないというか、ふわふわとしたこの世に足の着かないところのあるこどもでした。
「お前ら、カッパって知ってるか。」
その日も近所の子とぼんやり生家の庭先で超合金で遊んでいると、兄が急に声をかけてきました。
「にいちゃん。なんの話や。」
「としゆき、お前も桜池知ってるやろ。あそこで泳げるんやぞ。」
としゆきの家はその池の畔に蜜柑畠があり、何回か行ったことがあるため容易に池の様子を思い浮かべることが出来たが、そこはプールとは違って水も濁り、水草が茂った少し不気味なため池でした。
「あんな気色悪いとこで泳げるんか。」
兄は少し不機嫌な表情になりながらも、ますます熱のこもった口調でいいます。
「ほんまに泳げるんや、おかんらも子供の頃泳いだっていってたわ。」
「ほんまに。」
としゆきより三つ年下のゆうきがなにかおもしろいことを見つけたように、顔を輝しました。それを見て兄は満足気に、やや声をひそめて囁きました。
「でも、あそこで泳いでるとカッパに尻子ダマを抜かれるんや・・・」
ゆうきの顔がみるみる曇り、二三歩後づさりして兄から離れました。兄はますます満足そうな表情で話を続けようとしましたが、としゆきが話を遮って言いました。
「ほんで、尻子ダマってなんなん。」
「そら、お前・・・そんなことも知らんのか。」
まじまじと見つめ返すとしゆきに、兄は居心地悪そうに身を引きながら言いました。
「尻子ダマ抜かれたら、死んでまうんやっ」
兄が言い放つと同時にとしゆきは、きゃっきゃっと笑い声を挙げました。
「うそやぁ。」
「うそちゃうわい!うそやいうなら行って見てこい。」
兄は怖い顔でとしゆきを睨み付けましたが、としゆきのポカーンとした表情を見ているうちに疲れたように去っていきました。
「ゆうちゃん、カッパ見にいこら。」
何の決意もなく、素っ気ない感じでとしゆきが誘いましたが、ゆうきは幼い顔をこわばらせて「尻子ダマ・・・」と呟いて、けして同意しませんでした。しばらくして、夕暮れが近づくとゆうきは自分のマジンガーZを掴むと駆け足で家に帰っていきました。
「じゃあ、ばいばい。」
心ここにあらずといった感じでとしゆきは挨拶しました。
桜池はここから子供の足では小一時間はかかります。
既に陽が傾きだした秋の夕暮れからではとても、明るいうちに行って帰ってくることは出来ません。それに夜の桜池の暗い水面を思い浮かべると、としゆきにもゾクっとする感じがするのでした。
向かいの山の柿畑の方から疲れたようなツクツクボウシの鳴き声が細く響いていました。