「ここの鯉釣ったら怒られるんやど」
再びとしゆきは脅すように帽子の少年に小声で唸りました。
「鯉とちごたらええんやろ」 見知らぬ野球帽子はそう言って、もうとしゆきに興味をなくしたようでした。(もう鯉釣ってるやんか・・・)としゆきはその態度が気に入りませんでしたが、どこか悠然とした少年の態度が面白くなっていました。
「まあ、フナやったらええけど」といって、釣り座のとなりに勝手に座り込みました。
「…」野球帽子の少年もなにか文句を言おうとしましたが、考え直して黙ってとしゆきを坐らせたまま釣りを続けました。
半時間ほどして、何も釣れないのでとしゆきは退屈げに体を揺らしていたときでした。
「お前名はなんちゅうの?わいはケンゴや」
としゆきは急に不愛想な野球帽が喋りだしたので、少し驚きましたが、すぐに自分の名前を名乗りました。
「家どこや?」
「伊太祁曽や。おまはんこそどこなん?」 ケンゴはすこし唇を歪めて「大河内や」と言いました。
大河内も伊太祁曽も同じ山東地方ですが、西と東で小学校は分かれていたため、としゆきは同年代のケンゴのことをまったく知りませんでした。
「ケンゴは桜池にようくんのか?」
「まあな」にやりとケンゴは帽子の下で笑いました。
「ほんでも釣れやんなぁ…」
「今は餌が悪いんや」
不機嫌にケンゴは唸りましたが、すぐに不気味な笑いを浮かべて「お前、このあたりでミミズいてるとこ知らんか」と聞いてきました。としゆきはすこし考えて、堤脇の自分ちの畑のみかんに敷いてある藁の下で見たこと思いだしました。
「ミミズのほうがよう釣れるんや」
としゆきはケンゴを連れてみかん畑に行き、二人してミミズを採りました。すぐに十匹くらい見つけるとケンゴがもっていた海苔の佃煮の空き瓶に入れました。
「こんかえあったら釣れるわ。お前にも魚やるから」
ケンゴは会ってから一番の笑みを浮かべて言いました。
としゆきもなんだか楽しくなり二人して跳ねるように釣り場に戻りました。
空は暗くなり夕立間際の生温かい風が吹き、桜池の水面が揺れ始めていました。
2008年7月8日火曜日
桜池の河童(3)
桜池の堤は長いススキや葦に包まれていました。としゆきは堤の下から見上げて、どこから登ろうかと思案しました。堤の下には水田があり、その畦まではきれいに手入れされているのですが、溝から上の堤へ至る道は背の高い雑草に隠れて容易に探せません。
南の端には水門があり、そこから流れ落ちる水路からは段差がありすぎて、子供にはどうしようもありません。
しばし、半分あきらめて溝の魚を捕って帰ろうかと思案しながら、見まわしていましたが、水のすくない溝で子供に捕まえることの出来るような魚は、見当りません。
半分あきらめかけたところで堤の中央にやや草の少ないところを見つけました。
そこに分け入っていくとそこはあまり人は通らないが、たしかに堤に出るための道でした。
としゆきは自分の背丈より高い草を体で押しのけながら6、7メートル登ると草の向こうに水面が見えてきました。水草がいくらか絡まった濁った深い緑色の水が風もなく広がっていました。対岸にはコンクリート道が小さく見えました。奥にあるみかん畑には誰もいないようでした。
少し勇気を得たとしゆきは大胆に堤の端に向かって力いっぱい進んでいきました。 突然、ススキのジャングルが途切れ、小さな空き地に飛び出ました。回りがススキで囲まれていたため、まったく見えませんでしたが、そこだけぽっかりと空いた秘密の空間になっていました。
としゆきはあっと声をあげました。その土の上に人がうずくまっていたからです。
そいつはとしゆきと大差ない子供に見えました。
「お前・・・なにやってんの」
としゆきは距離をとりながら、いつでも逃げ出せる体制のまま小声で聞きました。
「・・・」
うずくまっていたそいつは振り返って、右手の竹を軽く持ち上げました。
「鯉釣ってるんや。静かにせぇよ」
たしかに右手の竹竿からは、透明のテグスが伸びていました。さらに3メートルほど前には丸いプラスチックの浮きが浮いています。そして、そいつの顔は、としゆきと変わらない年頃の男の子でした。野球球団(としゆきは知らなかったが阪神タイガースのものだった)の帽子をかぶり、半そで短パンでしたが、としゆきより色の白い丸顔でした。
顔を見て少し安心したとしゆきは男の子に近づき、「ここの鯉は飼うてるんや、おっさんらに見つかったら怒られるど」と脅かすように囁きました。
「はっはっはっ、そんなん関係ないわ。それに俺はみつからへんし」
そいつは鼻を鳴らして再び、池のほうに顔を向けてしまいました。としゆきはなんだか腹が立ちましたが、池に伸びている紐に気がつきました。
池のそばまで行って、覗き込むとたまねぎ袋が沈んでおり、そこに三色の大きな鯉が入っていました。今までとしゆきが捕まえたことのないような大物でした。
野球帽への腹立ちを瞬時に忘れ、としゆきは隣に座り込んで釣りを見守りました。
蝉の鳴き声も消えた昼下がり、いよいよ雲が増えてきていましたが、としゆきは名前も知らない少年と一緒に桜池に浮かぶ朱色の浮きを見つめていました。
2008年6月9日月曜日
桜池の河童(2)
その日は曇りながら明るい日でした。家の飼い猫がとしゆきを警戒しながらブロックで作られた池の竹の蓋の上であくびをしています。たまにこの子供は猫の水上訓練といって、幅1メートル、長さ2メートルの水槽にハチを投げ込むのでした。彼女は大変そういうことを嫌っていたが、子猫の自分を家につれてきた彼にはよくなついていました。この日、としゆきも何事かよからぬことを考えている表情でした。逃げようかと思いましたが、面倒なので動かずに人間の子供の様子を見守ることにしました。
としゆきは家人に見つからないように虫取り網を持つと自転車にまたがり、そっとスタンドを上げて静かに足で自転車を進めました。チェーンのギアの音でさえ今の彼には大きすぎたのですが、慎重に道まで出て坂の下の倉庫に両親がいないことを確認すると、一気に下り坂を降りました。白いコンクリートの道を勢いよく駆け降り、自分ちの倉庫を曲がると、そこはもう彼の中では外界でした。
下り坂が終わった三又路を右に折れ自転車はコンクリートの所々割れた道を南の方角に進んでいきました。きり山の東側の裾を縫うようにつづく農道に沿ってどんどん行き、水田の中にぽつんとある木々が茂った”もりさん”の横を過ぎ、道の下に倉庫がある畑に差しかかったところで、としゆきが恐れていたことが起こりました。
「としゆきぃ、お前どこいくんや?」
母親の従弟で大工の大吉でした。大吉は身長180センチ以上もある大男で、目がギョロッとした迫力のある顔をしています。子供のとしゆきには仮面ライダーの怪人の次に怖い大人でした。
「これから向こうのみどっこ(溝っこ=小川)で魚掬うんや」
虫取り網を振りながら、内心どぎまぎしながら言うと、大吉は少し険しい表情で、としゆきを睨みつけて唸るように言いました。
「桜池には行ったらあかんど。分かったな?」 いかへん、と呟きながらくびを振るとしゆきに、追い打ちを駆けるように「嘘ついたらドリルで手に穴あけるど!!」と怒鳴ると、興味をなくしたように再び大吉は仕事に戻っていきました。としゆきは青ざめて自転車思いっきりこいでその場を離れました。大叔父の姿が見えなくなったところで、やっと自転車の速度を緩め、一息つきました。少し足がだるくなっていましたが、そのまま進みみかんの木と山の間に桜池の堤が見えるところ、道が西に向きを変えるところで自転車を道端のみかん畑に乗り捨てました。そこからは田んぼの畦を進むため、自転車では通れないのでした。
誰も見ていないのに用水路を網でつつきながら、さも興味なさ気に穂の伸びた水田の畦道を辿っていきました。
2008年4月26日土曜日
桜池の河童(1)
(1)
そこは特に特筆すべきものの無い、平凡な地方都市のはずれの農村ででした。5軒に3軒は農業を生業としている集落に、7歳になる男の子が家族と一緒に暮らしていました。
男の子の家も両親は農家で、朝から晩まで忙しく働いており、歳の離れた兄にもあまりかまってもらえず、大抵一人か近所の子供らと昼間は遊んでいました。この子はもう小学校二年になっているのに、ほかの子と比べても魂が定まらないというか、ふわふわとしたこの世に足の着かないところのあるこどもでした。
「お前ら、カッパって知ってるか。」
その日も近所の子とぼんやり生家の庭先で超合金で遊んでいると、兄が急に声をかけてきました。
「にいちゃん。なんの話や。」
「としゆき、お前も桜池知ってるやろ。あそこで泳げるんやぞ。」
としゆきの家はその池の畔に蜜柑畠があり、何回か行ったことがあるため容易に池の様子を思い浮かべることが出来たが、そこはプールとは違って水も濁り、水草が茂った少し不気味なため池でした。
「あんな気色悪いとこで泳げるんか。」
兄は少し不機嫌な表情になりながらも、ますます熱のこもった口調でいいます。
「ほんまに泳げるんや、おかんらも子供の頃泳いだっていってたわ。」
「ほんまに。」
としゆきより三つ年下のゆうきがなにかおもしろいことを見つけたように、顔を輝しました。それを見て兄は満足気に、やや声をひそめて囁きました。
「でも、あそこで泳いでるとカッパに尻子ダマを抜かれるんや・・・」
ゆうきの顔がみるみる曇り、二三歩後づさりして兄から離れました。兄はますます満足そうな表情で話を続けようとしましたが、としゆきが話を遮って言いました。
「ほんで、尻子ダマってなんなん。」
「そら、お前・・・そんなことも知らんのか。」
まじまじと見つめ返すとしゆきに、兄は居心地悪そうに身を引きながら言いました。
「尻子ダマ抜かれたら、死んでまうんやっ」
兄が言い放つと同時にとしゆきは、きゃっきゃっと笑い声を挙げました。
「うそやぁ。」
「うそちゃうわい!うそやいうなら行って見てこい。」
兄は怖い顔でとしゆきを睨み付けましたが、としゆきのポカーンとした表情を見ているうちに疲れたように去っていきました。
「ゆうちゃん、カッパ見にいこら。」
何の決意もなく、素っ気ない感じでとしゆきが誘いましたが、ゆうきは幼い顔をこわばらせて「尻子ダマ・・・」と呟いて、けして同意しませんでした。しばらくして、夕暮れが近づくとゆうきは自分のマジンガーZを掴むと駆け足で家に帰っていきました。
「じゃあ、ばいばい。」
心ここにあらずといった感じでとしゆきは挨拶しました。
桜池はここから子供の足では小一時間はかかります。
既に陽が傾きだした秋の夕暮れからではとても、明るいうちに行って帰ってくることは出来ません。それに夜の桜池の暗い水面を思い浮かべると、としゆきにもゾクっとする感じがするのでした。
向かいの山の柿畑の方から疲れたようなツクツクボウシの鳴き声が細く響いていました。
そこは特に特筆すべきものの無い、平凡な地方都市のはずれの農村ででした。5軒に3軒は農業を生業としている集落に、7歳になる男の子が家族と一緒に暮らしていました。
男の子の家も両親は農家で、朝から晩まで忙しく働いており、歳の離れた兄にもあまりかまってもらえず、大抵一人か近所の子供らと昼間は遊んでいました。この子はもう小学校二年になっているのに、ほかの子と比べても魂が定まらないというか、ふわふわとしたこの世に足の着かないところのあるこどもでした。
「お前ら、カッパって知ってるか。」
その日も近所の子とぼんやり生家の庭先で超合金で遊んでいると、兄が急に声をかけてきました。
「にいちゃん。なんの話や。」
「としゆき、お前も桜池知ってるやろ。あそこで泳げるんやぞ。」
としゆきの家はその池の畔に蜜柑畠があり、何回か行ったことがあるため容易に池の様子を思い浮かべることが出来たが、そこはプールとは違って水も濁り、水草が茂った少し不気味なため池でした。
「あんな気色悪いとこで泳げるんか。」
兄は少し不機嫌な表情になりながらも、ますます熱のこもった口調でいいます。
「ほんまに泳げるんや、おかんらも子供の頃泳いだっていってたわ。」
「ほんまに。」
としゆきより三つ年下のゆうきがなにかおもしろいことを見つけたように、顔を輝しました。それを見て兄は満足気に、やや声をひそめて囁きました。
「でも、あそこで泳いでるとカッパに尻子ダマを抜かれるんや・・・」
ゆうきの顔がみるみる曇り、二三歩後づさりして兄から離れました。兄はますます満足そうな表情で話を続けようとしましたが、としゆきが話を遮って言いました。
「ほんで、尻子ダマってなんなん。」
「そら、お前・・・そんなことも知らんのか。」
まじまじと見つめ返すとしゆきに、兄は居心地悪そうに身を引きながら言いました。
「尻子ダマ抜かれたら、死んでまうんやっ」
兄が言い放つと同時にとしゆきは、きゃっきゃっと笑い声を挙げました。
「うそやぁ。」
「うそちゃうわい!うそやいうなら行って見てこい。」
兄は怖い顔でとしゆきを睨み付けましたが、としゆきのポカーンとした表情を見ているうちに疲れたように去っていきました。
「ゆうちゃん、カッパ見にいこら。」
何の決意もなく、素っ気ない感じでとしゆきが誘いましたが、ゆうきは幼い顔をこわばらせて「尻子ダマ・・・」と呟いて、けして同意しませんでした。しばらくして、夕暮れが近づくとゆうきは自分のマジンガーZを掴むと駆け足で家に帰っていきました。
「じゃあ、ばいばい。」
心ここにあらずといった感じでとしゆきは挨拶しました。
桜池はここから子供の足では小一時間はかかります。
既に陽が傾きだした秋の夕暮れからではとても、明るいうちに行って帰ってくることは出来ません。それに夜の桜池の暗い水面を思い浮かべると、としゆきにもゾクっとする感じがするのでした。
向かいの山の柿畑の方から疲れたようなツクツクボウシの鳴き声が細く響いていました。
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